B-2はB-52やB-1の後継機としてノースロップグラマンによって開発された世界初にして唯一のステルス爆撃機である。 B-2は1980年頃から開始された高度技術爆撃機計画(ATB)によって開発され、1990年代初めには実用化され132機の生産発注が見込まれていた。しかしソ連の崩壊により冷戦が終わり、時代は軍縮の時代へと変わったためB-2の生産数も大幅に削減された。 1機約2500億円という航空機史上最も高価な爆撃機となってしまったB-2は最終的に21機で生産が終了された。ちなみにこのことはギネスブックにも載っている。 ▲左がXB-35、右がXB-49 B-2の形状は中央部を曲線的になだらかに盛り上げた全翼機という極めて特徴的な形状をしている。ノースロップは過去に全翼爆撃機のXB-35とそれをジェット化したXB-49という2種類の試作機を制作しているが、後にそれらの機体のステルス性が良好だったことが判明し、B-2開発時の参考にされた。全翼機は一般的に機体サイズに比べ容積効率が良く、機体を小型化しつつ大きな搭載量を得られるのだが、操縦が極めて難しいとされる。しかしB-2では最新のコンピュータによる四重デジタルフライバイワイヤにより機体制御されるため、その問題は解消され乗員も2名で運用出来るまでになったのである。 世界初のステルス機であるF-117ナイトホークではレーダー照射波を別の方向に反射させるためにめ平面を組み合わせた直線的なデザインとなっているが、この形状では空気抵抗が増加し空力特性が犠牲となっている。これはコンピュータがなかった時代にできるだけ複雑な物理演算を減らそうとした結果平面的な形状になったのだが、B-2の開発にはコンピュータによるCAD/CAMにより機体形状の設計がされ、継ぎ目のない曲線的なデザインにより空力特性を悪化させることなく高いステルス性を実現しているのである。 それに加え機体表面に4層の電波吸収剤(RAM)が施されており、機体の継ぎ目や隙間にはMGRAMと呼ばれる電波吸収テープが貼り付けられている。 これらの最新技術により正面RCS(レーダー有効反射面積)はB-1の約1/8、B-52の1/1000である0.1平方メートルを実現している。 ▲上からB-52、B-1、B-2 エンジンはB-1に搭載されていたF101をアフターバーナー無しにしたF118-GE-100を4基搭載し、エンジン排気口を機体上部に配置し外気と混合させて排気温度を下げている。1996年からは排気熱を制御して飛行機雲の発生を抑えるコントレイル管理システムの装備も進んでいる。このような対レーダーだけでなく赤外線対策によって赤外線誘導ミサイルでの撃墜を困難にし、地上からの赤外線探知も不可能だとされている。 自己防衛機材としてAN/APR-50レーダー警戒装置、AN/ALQ-161A ECM装置、ZSR-63妨害システムを備える。ZSR-63は敵のレーダー照射波を逆位相波によりアクティブに打ち消すシステムで、対レーダー誘導ミサイル用のシステムとみられている。 これらの技術によりB-2は「既存の防空システムでは迎撃できない爆撃機」と言われているほどであり、当然だが被弾、被撃墜は一度もない。 ▲B-2のコックピット B-2は乗員二名で並列副座となっており、各座席にはエイセス2射出座席が搭載されている。コックピットには8基のカラーCRT表示装置による電子飛行計器システムが備えられている。各CRTには飛行情報の他、航法情報、センサー情報、エンジン情報、システム情報などを選択表示させることが出来るようになっている。また各席の右側にはキーボードがあり、航法データなどの入力に使用される。 レーダーはヒューズ社のAN/APQ-181を搭載し、全脚収容部左右に搭載される。このレーダーはJバンドの低被迎撃性合成開口レーダーで、21のレーダーモードを持つ多目的レーダーである。具体的には目標の捜索及び探知、高解像度地上マッピング、地形追従、地形回避などで、目標捜索時には一度目標を探知すると目標にのみレーダー照射を行い逆探知を困難にしている。 ▲JDAM投下中のB-2 兵装類は機体中央にある1対のウェポンベイに格納され、2000ポンド級の兵装は回転式ランチャーに、1000ポンド級以下の物は専用のボムラックに搭載される。B-2は様々な種類の爆弾、対地ミサイルを搭載可能で、核、通常、精密誘導兵器を運用出来るようになっている。 1999年のコソボ紛争でのユーゴスラビア空爆で初実戦参加し、2機のB-2がGPS誘導爆弾の2000ポンド級JDAMを32発投下した。 ▲空中給油を受けるB-2 B-2は空中給油無しでも約10000kmの航続距離を誇り、当時はホワイトマン空軍基地から空中給油を受けてノンストップでユーゴスラビアまで飛来し、無着陸でホワイトマン空軍基地に帰投した。ミッション時間はなんと32時間にも及んだという。 それというのもB-2は表面のRAMコーティングや電波吸収テープの整備補修に非常に手間が掛かり、空調設備の整った専用の格納庫が必要なため、ホワイトマン空軍基地にしか配備されておらず、ここから発進し帰投するというのが原則となっている。 2001年のアフガニスタン攻撃時には直線距離にして約12000kmの距離があり片道だけで40時間かかり、二名のクルーでは負担が大きすぎるため一度インド洋のディエゴガルシア島に着陸しクルーを交代した。ディエゴガルシア島にはC-5輸送機で輸送出来る簡易型B-2専用組み立て式整備ハンガーが設置された。 2003年にノースロップ社では電波吸収テープMGRAMに代わるRAMとしてAHFM代替高周波材を開発した。これはハンガーにスプレー式噴霧器を設置しコーティングする物で、今まで35時間掛かっていた作業が30分で済むようになり、機体運用コストも大幅に低下した。 核問題で荒れる北朝鮮等への攻撃能力を高めるため、2007年10月にミズーリ州のホワイトマン空軍基地から、グアム島のアンダーセン空軍基地へ部隊の一部を移転させている。しかし、2008年2月23日、グアム島に配備されたB-2が離陸直後に墜落するという事故が起きた。幸い乗員は射出座席により脱出し無事だったそうだが、相次ぐF-15の墜落事故で頭を悩ませていた最中に、世界最高額のこの機体を失ったのは米軍にとって大きな痛手となったのは間違いないであろう。 スペック
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